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丸山正雄プロデューサー、アニメ制作53年の足跡を語る マッドハウス初期に影響を受けた2人の監督

5月6日、徳島市周辺で開催中の「マチ★アソビ Vol.20」で、トークイベント「丸山正雄 アニメーションプロデューサー 1965年からこれまで」が開催された。

丸山正雄プロデューサーは、虫プロダクション制作の「W3(ワンダースリー)」(1965)でアニメ業界に入り、その後、マッドハウスを設立。数多くの作品を世に送りだし、同社を離れた後にはMAPPAを立ち上げ、「この世界の片隅に」などを手がけたキャリア53年のアニメーションプロデューサーである。クリエイターの黒衣であることを良しとし、自身が表にでて語ることは少ないだけに貴重な機会となった。

聞き手はufotable代表の近藤光プロデューサー、進行はアニメハック編集部の五所光太郎が担当。近藤プロデューサーからは、制作スタジオ代表の後輩として、制作会社視点での質問が多くなされ、そのなかで、マッドハウス立ち上げの経緯、「あしたのジョー」「この世界の片隅に」制作のエピソードなど、約1時間にわたって新旧さまざまな話題が展開した。

「ある時期、“マッドハウスっぽい”アニメがあったと思います」と近藤プロデューサーから訊かれると、虫プロダクション時代に背中を見てきた手塚治虫の影響を語り、「(手塚作品のように)どんなジャンルでも、なんでもつくってきたから、自分でそう感じたことはないですね」と振り返り、「強いていえば、川尻(善昭)さんのつくったものが(スタジオのカラーに)影響していたかもしれない」と答える一幕も。また、最近のアニメ制作事情について話すなかで、「制作会社は予算を守ってつくることも大事だけれど、新しいことにもチャレンジしていかなければいけないと思う」とも語られた。

マッドハウス初期に大きな影響を受けたクリエイターに、出崎統監督と平田敏夫監督の名前をあげ、「出崎さんは、出会い頭に相手の鼻っ面をひっぱたくようなところがあって、『あの人は凄い』となる場合と、『なんだ、あの人は』と分かれる人だった。一方、平田さんはスタッフみんなに親しまれていた穏やかな人で、対照的な2人がいたからこそ、アニメをつくってこられたと思う」との発言もなされた。

イベント終了後には、場所を移して平田監督の没後に出版された「平田敏夫画集 あずきちゃん絵本」(スタイル刊)へのサイン会が行われ、来場者との交流がもたれた。

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