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日本新元號為「令和」(れいわ),R 的時代開啟

日本政府官房長官於 2019 年 4 月 1 日上午十一點半宣布新元號(年號)為「令和」,政府將於 5 月 1 日改元,這也象徵平成三十一年後,日本將進入新的時代。 「令和」典出日文文學《萬葉集》,相較於過去採用中國典籍,這次則是首次從日本文學中找尋靈感。不過這是一首「詠梅歌」,出於〈梅花の歌三十二首〉序文: 初春の令月にして気淑く風和ぎ、 梅は鏡前の粉を披き、 蘭は珮後の香を薫す。 于時,初春令月,氣淑風和。梅披鏡前之粉,蘭薰珮後之香 從「令月風和,梅披鏡前,蘭薰珮後」中擷取而來而成「令和」。 之前有朋友說希望新年號可以叫做「天元」或「初音」,但實際上不可能的理由並非宅味過重,而是一個不成文的規定:    為了避免混淆,新年號縮寫代稱應避免和前三代之年號相同。    所以新年號的代號縮寫不能是「大正(T)」、「昭和(S)」和「平成(H)」,所以很遺憾的,天元和初音都不可能(雖然我也希望是 2019 是初音元年啦)由於年號關係到日本社會的所有面向,所以從提案到審查,最後議決的過程都十分嚴謹,保密更是到家,絕對嚴防任何風聲的洩漏。     但是日本新聞史上還是發生過「光文事件(こうぶんじけん)」。    1926 年 12 月 25 日清晨一點大正天皇逝世,東京日日新聞(現每日新聞)於清晨四點發佈號外,宣稱新年號是「光文」。但是上午十一點公開的年號卻是「昭和」,從「獨家大新聞」變成「天大誤報」,社內一堆大頭引咎辭職。 出版於 1941 年的《東日七十年史》也將此事件視為該社史上的最大恥辱。1956 年,當時任宮內廳的中島利一郎在節目上透露,本來年號確實訂為「光文」,但因為不爽被媒體先披露,所以臨時改成了「昭和」,猪瀬直樹在關於天皇的著作中也採用此一說法,但宮內廳的官方紀錄則指出「光文」從未進入最後備選。 63 年後昭和天皇駕崩,又面臨了新年號的猜測,也出現了「旭日」、「和光」之類的謠言。大批記者都守候在審議委員的門前希望探得一點風聲,而這次每日新聞(之前的東京日日新聞)為了一雪前恥,投入全社力量,最終正確於 1989 年 1

【かねやん的アニラジの作り方】第3回 インターネットラジオの出現と多様化するアニラジ

2003年ごろでした。あるスポンサーから「この春でラジオのスポンサーをやめたい」と突然の電話。「なんで」と聞くと、「今かねやんに出しているお金の半分以下の値段でインターネットを使ったら全国にラジオを届けることができる」とのこと。インターネットラジオという言葉を初めて聞いた瞬間でした。勿論、それまでにもインターネットのホームページなどはありましたが、音声や動画を流すにはデータ量が多くまだまだ普及には時間がかかると思ってました。当時からデジタルリテラシーの高かったアニラジリスナー。僕はおそらく日本のラジオマンのなかでもかなり最初のほうにインターネットを脅威として感じざるを得ない立場に立たされたのです。2004年、「音泉」「ランティスネットラジオ」がスタート。2007年には今の文化放送超A&Gの前身となる地上デジタルラジオがスタートします。インターネットラジオは時間と枠という制約をなくし、またAMラジオより良い音質、また地域という制約もなくしました。枠がなくなるといつでもどこでも番組がきけ、また何番組でも配信でき、さらに誰でも番組を作ることができるようになったのです。僕はそんな状況を見ながら2004年、大阪の本社編成部へ転勤になります。僕のアニラジ人生の第1期はここまで。ここまで書くのに1時間もかかりました。これまでは自慢話ばっかりだったので書くのは簡単でしたが、しんどい話は書くのがしんどいですね。